ヤッホー [2025/07/01,10:19:56]
岡本喜八監督が原案を書いた映画『助太刀屋助六』をテレビ放映でみた。江戸時代の「仇討ち」をテーマにしたコメディ時代劇だ。ラストシーンで主演の真田広之と鈴木京香が馬で村を去っていくシーンで、何度も二人は「ヤッホー」と歓喜の掛け声をかけ、フェードアウトしていく。山登りでよく山頂で叫ぶ、あれだ。今はそんな昭和な人も少ないのだが江戸時代、この言葉は本当にあったのだろうか。調べてみると、「ヘブライ語です」という自信に満ちた説がネットに出ていた。ユダヤ教では神のことを「ヤハウェ」という。それがなまって「ヤッホー」だというのだ。お祭りの「ワッショイ」もヘブライ語では「神が来た」という意味で、「ヤ―レンソーラン」も「神が答えた、見てください」という意味なのだそうだ。この説も眉に唾する必要はあるが、やはり江戸期に、それも時代劇で「ヤッホー」はなんだか変だ。誰か正解を知らないだろうか。日本の生活に根ざしたヘブライ語といえば、私の知る限り、あのフォークダンスの時に歌った「マイマイベサソ」というやつだ。これがヘブライ語なのは間違いないのだが。
6月 [2025/06/30,10:01:47]
フ〜ッ、長かった6月も今日で終わり。この75歳の最初で最後の6月は、過去のどんな6月とも違った、いろんな事件が詰め込まれた、あたふた続きの一か月間だった。まだ外に話すべきでないことも多いが、一番大きかったのは経理事務所とのごたついていた問題が解決に向かったこと。長く続いた新聞連載が終了すること。日常使用している生活備品類の多くを買い替えたこと。月に3回、歯医者に通ったこと。ある高齢な写真家のネガ資料などの保管場所が見つかりそうなことも、私的には大ニュースだ。公的な機関との折衝が思いのほかスムーズに運んで、このままうまくいけば話がまとまりそう……などなど、ひと月の間に起きたことにしては、みんな「濃すぎ」なことばかりが続いた。同じ場所で同じ仕事を続けていると、20年、30年変わらずそのまま、というのは当たり前。それがここにきて、みんな一斉に更新、書きされて、動き出してしまった、とでもいえばいいのだろうか。こうして月日は過ぎていく。
クマ旨煮 [2025/06/29,11:49:15]
和食Mはもう四半世紀通い続けている小料理屋。毎月一回は家族3人で会食するのが、わが家族の決まりだ。Mは驚くべきことに四半世紀というか、開店当時からほぼメニューが変わっていない。「おまかせ」コースと「あらかると」しかないのだが、うちの家族は交互にコースを変えている。しかし20年以上食べ続け、同じメニューで、いまもまったく飽きない「店の味」というのも、すごい。先週、そんなMにちょっとした変化が。メニューに「クマの旨煮」という一品があったのだ。すぐに注文して食べたのだが美味かった。ふっくらとしてジューシーで、関西のおでん(関東炊き)に入っている「牛すじ」や「くじら」を彷彿させる味だった。よくこんなに柔らかくなったね、と店主に訊くと、「二度あく抜きして、さらにミソで煮てから、醤油で味付け」というから手間ヒマかかっている。猟師たちのクマ鍋を何度か食べたことがあるが、クマ肉が硬くて一度もうまいと思ったことはない。「お客さんが持ってきたので、しょうがなくメニューに出しました」と店主は謙遜するが、これは定番にしても行けるなあ。
駒ヶ岳 [2025/06/29,11:28:43]
今日は岩手・国見側から秋田駒ヶ岳。何か月ぶりの山歩きだろうか。トレーニング不足から不安がいっぱいで、夜もよく眠られなかった。こんな苦労をしてまで、なぜ山へ行くのか、自分でもよく意味が分からない。水は2・5リットル用意していくので、ザックの重さは普通の人のゆうに2倍。これも憂鬱のタネ、汗っかきで水飲み男なのだ。驚いたのは、国見の登山口駐車場で、駐車場はおろか路上駐車の車があふれ、そこから登山口まで15分近く歩かなければならなかった。岩手側の登山熱は尋常ではない。秋田県がいかに過疎で、人口減少県が、思い知らされてしまった感じだ。金十郎長根までの長い階段上りは1時間20分、そこから尾根だがムーミン谷まで1時間半、まあこんなペースだろう、今の自分では。ムーミン谷で昼食をとり、男岳までは無理と判断して引き返してきた。このあたりが今の自分の適正な限界点。もう少しトレーニングをしなければ身体がパンクしてしまう。帰りの車中はドライバーがプロのFさんなので安心なのだが、眠くて眠くて、目を開けているのがきつかった。それでも筋肉痛もなく、夜は早めに床について朝は10時まで、ほぼ12時間熟睡した。山に入ると余計なことは何にも考えない。「山の時間」はやっぱり自分には必要のようだ。
せんべい [2025/06/27,09:29:04]
この10日間で3回歯医者さんのお世話になった。違う場所の差し歯が外れ、治療したのだが、さすが3回目は寡黙な歯医者さんも苦笑していた。原因ははっきりしている。硬いせんべいを食べたせいだ。おいしさの副作用が出てしまったわけだ。恥ずかしい。もう硬いせんべいは口にしていない。歯って意外ともろいものなのだ。って俺が言うことではないか。お医者さんはなんとなく敷居が高いが、歯医者は敷居の高さゼロだ。常連客(?)なので、その日のうちに診てもらえる。それも調子に乗っている理由だ。小さいころから歯に関してはコンプレックスの塊で、歯医者が一番嫌いだった。それが50台からは「好きな場所」にかわった。「痛くない」のがいい。チクッとくるときは事前に知らせてくれるし、簡単な麻酔もある。若いころ、年を取るのは怖くなかったが、歯だけは不安だった。入れ歯をしている自分がくっきりイメージできたからだ。どうやらこの年になって入れ歯とは無縁で死ねそうだが、まだ油断大敵か。
サッカー [2025/06/26,09:42:44]
夏になると毎年サッカー生地に感謝することになる。シャツも寝間着も毎日、サッカー生地の服のお世話になっているからだ。サッカー生地が大好きだ。素材は綿で、昔から「しじら織り」と呼ばれていた。明治時代から夏の着物や寝具に使われてきた。通気性がよく軽くて放湿性がある。なんでサッカーというんだろう、と調べたら、ヒンドゥー語だった。そうカインドか、やっぱり暑い国だもんね。ザラザラ、デコボコな生地なので「砂糖とミルク」を意味する言葉なのだそうだ。これもなんとなくわかるなあ。収縮率の違うたて糸を組み合わせて平織りして仕上げに縮ませて凹凸を出した生地が、私の夏の希望だ。
辞書 [2025/06/26,09:30:13]
明日から天気は崩れそう、とのことで今日もフトン干し。風も強そうなので、布団が飛ばされないようオモシが必要だ。2階の書斎や寝室をいろいろ物色するが、重しになりそうなものは何もない。結論は「広辞苑」に落ち着いた。辞書を布団の「重し」にするとは、と本好きには軽蔑されそうだが、ないのだからしょうがない。辞書を「重し」にしようと思ったのは、昨夜見たテレビドラマ『舟を編む』の影響もあるかも。再放送だが、主演の池田エライザが、これで大好きになったほど面白いドラマだった。原作も読んだが、こちらはあまり感心せず、テレビのほうが圧倒的に面白かった。池田の存在感がフレッシュで、物語に活気を生んでいる。その後も別のテレビに登場する彼女を見ているが、どこにでもいる凡庸なタレントの一人だ。ドラマの辞書編集者の彼女に、こっちが勝手に好意的な感情移入をしているせいだけなのだ。ということは女優業というのは、どんな作品と出会うかが重要な生存のためのファクターなのだろう。彼女を見ていてそれがよくわかった。女優とフトン干しが、どうつながるのかは、よくわからないが。
落とし穴 [2025/06/24,09:59:28]
毎日ノンアルが当たり前になった。酒を口にしないことに何の痛痒もない。すんなりノンアルにい移行できたのは、お酒がおいしいと感じなくなったせいだ。特に日本酒の味はまったくわからない。どれも同じで、おいしくない。ワインやハイボールならまだ味覚の範囲内なのだが。もう日本酒は無理かもしれない。そのノンアル状態、もう1年以上になるのだが、反動なのだろうか、やたら甘いものを欲しがるようになった。間食の頻度が高くなり、それも甘ものばかり求めてしまうのだ。酒を飲まないからこれぐらいは、と大目に見ていたが、明らかにそのためにデブりつつある。外目にも贅肉がわかるようになってしまった。これはまずい。洋服サイズが合わなくなり、山に登れなくなるのは避けたい。それには甘ものをセーブするしかない。そうか、ノンアルにもこんな落とし穴があったのか。
お茶漬け [2025/06/23,09:31:49]
昼はもっぱらお茶漬けだ。麺類はしばらくお預け。簡単に食べられるのがいい。ご飯はおにぎりにして冷凍してある。それに塩昆布や梅干し、漬物でササッとかっ込むだけ。自分で食事を作ると、もう一品、何か工夫を、と品数が多くなり、シンプルな食事とはどんどん遠くなっていく。外食しない代わりに、融通を利かせすぎて贅沢華美のほうにはしる傾向がある。栄養的にはどうなのか、健康にどんな影響があるのか、逆にいろいろ考えてしまうのだ。夜の食事は野菜を積極的に摂るようにしているので、そのぶん昼は自由、食欲のまま、という感じだった。食べたいものを昼一本に絞って、作って食べてしまう。お茶漬けはすぐに腹がくちくなるのもいい。冷たいうどんもすすりたいのだが、今のところはお茶漬けで満足だ。
喫茶店 [2025/06/22,12:10:40]
久しぶりに湯沢市に。横手に行くことは多いが、生まれ故郷の湯沢市にはめったに行かない。10年ほど前、「R」というコーヒーの美味しい喫茶店が湯沢市にはあった。そこが廃業してから、湯沢にはいかなくなってしまった。その「R」という喫茶店は、中学の同級生がやっている店で、奥さんも同級生だ。そんな関係もあり用事がなくとも湯沢にはたびたび出かけていた。その喫茶店の2階に同級生夫婦の住居は、今もある。懐かしさに負け、ノーアポでそこを訪ねた。幸いにも2人とも在宅で、あたたかく迎えてくれた。1時間半ほど積もる話をして満足して帰ってきた。それにしても、人の集まる場所としての「喫茶店」の存在の大きさを痛感した。それは同級生本人も感じていて、今もその喪失感を昔のお客さんたちから嘆かれるのだそうだ。日々暮らしていて喫茶店は、どうでもいい存在だ。でも湯沢の「R」に関しては、私自身もすさまじいほどの喪失感を覚えていた。「小さな文化」の目に見えない威力のようなもの、だ。

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