とっかえる [2025/12/15,10:16:17]
おとといの雷で寝室のラジオの電源が入らなくなった。もう使いものにならないので、これはあきらめるしかない。仕事場で調理に使っているガスコンロも今年新しくした。いいものを長く使おうと思って奮発、バミューダというメーカーの黒いゴツイ、高いものを買ったのだが、まったく見掛け倒し。ガスは食うわ汚れは目立つわ、イワタニの足元にも及ばない。悔しいのは散歩用の靴だ。これはミズノ製だろうなら大丈夫と全とっかえ、足幅をチェックするのを忘れ、大失敗。足の甲が痛くなり、冬靴をはくのが大変だ。とにかく今年は、何かの節目なのか、身の回りの生活備品をそうとっかえした。車から冷蔵庫、パソコンから調理器具まで、ことごとくガタが来て新品に替えるはめに。車やパソコンは問題もなく一安心だが、半分は前のほうがよかったなあ、という残念な感じ。身の回りのものがちょうどガタが来る年回りだったのだろうが、来年はお金を使わない、穏やかで心静かな年にしたいものだ。
ロードムービー [2025/12/14,11:02:47]
毎日、散歩から帰るとアマゾンプライムで映画を一本観る。無料で公開されている映画なら何でもありで、その日のノリで映画を決める。何の下準備もなしなので、ガッカリ作品も度々だ。昨日は大当たり。『658K、陽子の旅』という22年につくられた日本映画だ。大好きなロードムービーで、しかも主役はあの国際派女優・菊池凛子。就職氷河期で夢破れた在宅フリーターの42歳女性を演じている。所持金もなくサービスエリアに置き去りにされ、ヒッチハイカーとして父の葬儀のために故郷・弘前に向かう。真っ向勝負のロードムービーなので役者の演技だけが命だ。竹原ピストルやオダギリジョー、風吹ジュンといった実力派が脇を固め、初冬の東北縦断の旅がはじめる。しかしこの菊地凛子の持つ「暗さと不可解さ」は、たぶん彼女だけが持ちうる才能なのだろう。この映画は彼女のためにだけ作られたようなものだ。なにも起きないラストシーンもよかった。
「とっさ」 [2025/12/13,11:01:16]
散歩の帰り、買い物に立ち寄るコンビニで会計の際、釣銭を落とした。床の隙間に落ちたので、「とっさに」かがんで拾おうとしたのだが、「とっさ」と思ったのはこちらの時間間隔で、その間に店員が回り込んできて小銭を拾ってくれた。落としてから気が付いて腰を落とし拾うまで、かなりゆっくりで、それが店員には「悠久の時」に感じられたのだろう。こちらの「とっさ」が店員には「悠久」に感じられたわけである。たしかに気持ちはともかく「落とした・腰をかがめる・拾う・立ち上がる」という行為が瞬間的にできた日は遠い。いまは自分の頭の中でも動作が細かく分解され、その一つ一つを確認しながら一連の動作が始まる。イメージができてから動き出す、という感じだ。これが老人なのか。年を取るというのはこういうことなのだ。「俺の〈とっさ〉を邪魔するな」と偏屈な老人は言いたい気分でもあったが、もうやせ我慢はやめよう。
「島にて」 [2025/12/13,10:49:19]
「島にて」という映画を観た。毎年でかけている山形酒田市にある離島・飛島のドキュメンタリー映画だ。コロナ禍で撮られた作品のようで、監督が2人いる。だからかもしれないが、互いの主張を打ち消しあうような、ちょっと消極的な作品になってしまった気がしないでもない。飛島はもっと魅力的で、退廃的で、魅力のある島、と、こちらは勝手に思いこんでいる。もっと攻めてほしかった。ラーメンを食べるシーンが印象的で、この島の人はよくラーメンを食べる。文化的遺産や民俗学的視点は意識的に避けていたようだが、もう少し暮らしにも掘り下げが欲しかった。この島にも移住を促進し、島に住み込んで住民をサポートする若者たちの会社があった。彼らが「未来」のように描かれているが、秋田の過疎地にもよくある「移住促進」の名を借りた政府の補助金目当ての「過疎ビジネス」との関連はどうなんだろう。映画を見る限り、そんなことはなさそうだが、税金を使ったイベントは長続きしたためしがない。裏でお金のトラブルや不正が見つかるケースも後を絶たない。1時間半の、静かで穏やかな映画で、ドローンを使うような派手な画像演出がないのが救いだった。映画は難しい。
温泉 [2025/12/11,10:03:41]
知人との会食でお酒を飲んだので、夜のお風呂はやめた。テキメンに夜の眠りが浅くなり、何度も夜中に起きてしまった。そんなこともあり昨日は昼に事務所を抜け出して、河辺にある「ユフォーレ」でゆっくり温泉につかってきた。昼もそこのレストランで生まれて初めて「天ぷらざる中華」なるものを食べた。外食の時はなるべくこれまで食べたことのないものを食べるように心がけている。温泉の効果は絶大だ。寝ていても身体の中心がほてっているのが分かった。ぐっすり熟睡、体も軽い。本を読まなくても睡魔が襲ってくるなんて久しぶり。大きな浴槽や露天風呂でのびのび手足を伸ばしてボーっとしているだけで、体から疲れや心の垢までが溶け出していく。こういう体験は月に1,2度は必要だが、やることの優先順位からはいつも漏れてしまう。
ロフト [2025/12/10,09:50:24]
駅前ロフトで来年のカレンダー、手帳類を買ってきた。もう20年近く「ほぼ日」製のものを使っている。ロフトでしか買えないのだ。秋田市にロフトがなかったころは仙台までわざわざ買いに行っていたなあ。事務所や個人、家庭用までまとめ買いするから、結構な金額になる。昨夜は知人と会食。いつも行く「和食みなみ」の一番軽いコース料理を頼んだのだが、最後のご飯が腹がくちくなって入らない。コース替り注文なんてバカをやっていたころもあったのに。年だなあ。秋田の日本酒の最新事情をレクチャーしてもらい、今は「両関」がトレンドなのを初めて知った。世の中は移り変わる。こちらは取り残されていくばかり。お酒はノンアルで十分というていたらく。
パイプ椅子 [2025/12/09,09:37:45]
HP写真はどこかの大都市のビル群に見えますが、実は駅前のイベント会場の積み重なったパイプ椅子。これは東京みたい、と思って撮ったものだ。どうでしょう。昨夜の地震は久々に肝を冷やした。こちらは震度4でしたが、あの揺れは3・11を思い出させるほど強い揺れだった。玄関の靴箱の上の置物が地面に落ち、何よりも夜中の出来事だったので恐怖感はいや増した。3・11の時は昼時で散歩中だったが、その日の夜の余震と同じくらいの恐怖だった。長く生きてきたので、「この頃地震がない。危ないなあ」と漠然とだが、寝る前に考えていた。やっぱりなあ、というのが年寄りの感想だ。海とは無縁に生きてきたので津波の恐怖というのがまったく実感がない。海のそばに住む人たちの心労やいかばかりか。
150台 [2025/12/08,10:20:36]
150台になった血圧がなかなか下がらない。いろいろ努力はしているのだが、どこが問題なのだろうか、下がらない。日本高血圧学会というとこで今年に入って75歳の降圧目標値を従来の140/90から130/80に引き下げる治療指針を出した。ますます血圧プレッシャーは強まるばかりで、医師からも「そろそろ薬を飲みましょう」と圧がかかっている。厚生省の1987年の基準では180が「要治療」値だった。それが90年には160/90になり、00年度には140/90になった。19年には75歳以上は140/90だったのだが、さらに引き下げられ今回の数値になった歴史を持っている。こうした数値の変遷を見ても、いまだ「薬を飲む」ことに抵抗があるのは、世界の医療基準は日本とは逆行しているからだ。血圧を下げすぎるデメリット」が議論されているのだ。血圧と死亡率の関係で、高齢者は「160」が最も死亡率が低かった、というデータもあり、降下剤で20以上血圧を下げた人の死亡率が逆にあがった例も報告されている。世界基準は日本の数値とは逆の方向を向いているのである。悩ましい。
散歩 [2025/12/07,12:08:59]
雪が降ろうが停電だろうが台風だろうが、散歩に出る。散歩だけはやめない。1年中、散歩に出ない日は数えるほどしかない。カミさんにも異常だといわれるが、それには理由がある。1980年に手形から広面に引っ越して、家と仕事場が同じ敷地になった。いわゆる職住近接で通勤時間はわずか30秒。仕事場が好きなので、ここから外に出ることはない。家に帰るのは夕食と寝るためだけなので、ほぼ引きこもり。これが何十年も生活習慣として続いている。敷地から一歩も外に出ることなく1日が終わってしまう。これはいくら何でも心身にいいわけがない。という危機感からはじまったのが「散歩の習慣」だった。切羽詰まった追い詰められた動機から生まれたものなのだ。散歩が唯一の気分転換であり、外の社会と触れ合うための「方便」でもある。徘徊は太古からの人類の習癖。散歩は暇をつぶし、退屈を埋めるための最強の基本的な行動。よく歩くものはよく考える。よく考えるものは自由だ。自由は知性の権利……というのは作家・島田雅彦の言葉だが、私の散歩はそんな格好の良いものではない。散歩も仕事の延長で、だから道連れは万歩計ではなくICレコーダーだ。アイデアや考え事を歩きながら吹き込む。本の企画も散歩とICレコーダーから生まれたものが少なくない。背広を買ったのはいいが外に出ないので着る機会がない。そこで夜遅くの散歩に着込んで、真っ暗な田んぼ道をファッションショーさながら歩いたこともあった。そんなこんなで散歩は朝の歯磨きと同じ、になってしまったわけである。
週末 [2025/12/06,11:49:15]
週末も基本的には仕事場にいる。さすがに朝寝坊はする。これは週末の特権のようなもので、遅く起きても家人は怒らない。今日は起きてから1時間以上かけて冬用寝具類のチェック。羽毛布団を2枚重ねするのだが、1枚目のカバーが破れて羽毛が飛び出しかけていた。そこを補修テープで防ぐ作業にけっこう時間をとられてしまった。昼近くに出舎、いつも通りにコーヒーを入れ、お茶を作って、昼飯の準備。新聞を切り抜き、メールをチェックし、朝のブログを書く。これがルーチンだ。自前の昼飯後は、自分の原稿書きや調べ物で3、4時間、あっという間に過ぎてしまう。夕飯は早くて5時半だ。家の食卓につくが、相変わらずノンアルだ。もうまったく飲む気は失せてしまった(外で友人との会食ではガンガン飲む)。夕食はすぐに終わり、風呂を洗って、夜の散歩に出る。散歩から帰るとまた仕事場でダラダラ、映画を観たり、録画したドキュメンタリーを観る。9時になるときっかり家に帰り、風呂に入って、本を読んで、12時ころには就眠、となる。夜は何度もおしっこに起きる。これは最近、意識的に水分を摂るように心がけている結果だ。夜尿症とは無関係、と自分では信じている。

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