| Vol.1301 2025年12月6日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1293 |
| 75歳はなぜ後期高齢者なの? | |
11月29日 メルヴィル著「白鯨」を3分の2まで読み進めたところで途中放棄。読み進めるのを断念した。アメリカから出航した捕鯨船の中で、乗組員たちが繰り広げる人間物語を期待したのだが、あくまで主人公は「鯨」。その生態から捕鯨の歴史、生物学的うんちくが延々と続き、リアルな人間同士の物語はなかなか前に進まない。どうにか上巻を読了し、下巻は面白くなるぞと期待満々だったが、上巻よりもトーンは下降、相変わらず鯨の尾や骨格、頭や鯨油の歴史、専門的な鯨話に終始するばかり。読み残した3分の1でたぶん、捕鯨船は目標である白鯨を発見し、常識を超えた巨大海獣との熾烈な戦いがくりひろげられる展開なのだろうが、その前段階で刀折れ矢尽きてしまった。無念だが、自分との相性だからしょうがない。このへんが自分のリテラシーの限界なのかもしれない。
11月30日 足指裏側が痛くて歩けない。足幅が合わないせいだ。新しい靴に替えて3か月以上たつ。結局2足とも足に合わなかった。20年近く履き続けていたミズノのウオーキングシューズを、そのまま継続すればよかったのだが、ネットで検索しても売っていない。そこで似たようなミズノの靴を選んだのだが足幅が3Eしかない。値段も前の靴より1万円も安いのが、逆に気になっていた。仙台にウォーキングシューズ専門店がある。そこに一縷の望みを託し、駆け付けたら、奇跡的に前と同じ靴が一足だけあった。足幅は5E、値段は3万4千円。以前より1万円高くなっていた。やはりもう店売りはなし、すべて受注販売に切り替えたという。オーダーでしか手に入らなくなったのだ。その場で靴をはき替え、痛い足を引きずりながら、秋田まで帰ってきた。一日5キロは歩く。靴は命の次に大事なもの。お金に代えられない。 12月1日 この週末、毎日新聞記者Tさんの「ガザについて」という講演を聴いてきた。Tさんはカイロ支局やエルサレム支局勤務を経験しているかたで知り合いでもあるのだが、手を挙げて質問までしてしまった。T記者にはもうひとつ勲章がある。あの2000年に起きた旧石器捏造事件の大スクープをした北海道取材チームの一員なのだ。こちらの取材秘話も聞きたかったのだが、それはまた後日の楽しみにしよう。あの捏造発覚後、Fは精神科に入院、罪の意識から右手の人差し指と中指を自ら切断している。まあその辺のことは今度Tさんと個人的にお会いして、じっくり聞いてみよう。 12月2日 気になっていた酒田市の古本屋さんに寄ってきた。金土日だけの営業で、週末でなければ開いていない。岩波文庫や「第3の新人」「大正生まれの作家」たちの初版本(というか文庫でない単行本)を数冊まとめ買い。丁寧にグラシン紙で巻かれ、店主の本に対する愛情の深さが感じられる。このグラシンという「紙」が本好きにはたまらない。もう死語かもしれないので説明すると、あの菓子パンなどを包んでいる、透け感のあるブックカバーの上から巻いている耐水性のある紙だ。いい古本屋さんの本はたいていこのグラシンにまかれていた。いまはグラシンそのものが姿を消してしまったようで、紙自体を手に入れるのも大変だ、と店主は嘆いていた。高井有一や阿部昭の、もう文庫では持っているが、きれいにグラシン巻きされた単行本も数冊手に入れた。グラシンを巻かれて当時の時代の空気を閉じ込めたままの本は手許に置いておきたい気分にさせる。 12月3日 プロ野球中継がなくなると録画していた映画を観るようになる。「チャップリンの独裁者」とか「ドクトル・ジバゴ」「地下室のメロディ」「や「ジャッカルの日」といった、見損なった古典ふうのものが多い。成瀬巳喜男やビリー・ワルダーの「めし」や「サンセット大通り」などのモノクロ映画も何度でも見る。モノクロ映画には強く惹かれる。舞台背景に映っている風俗や小物類、言葉遣いや社会の仕組みに、異常なほど興味がある。まるで知らない日本がそこにあるからだろう。 12月4日日 仙台から新幹線で帰ってきたら駅にタクシーが一台もいなかった。日曜日の夜7時半の出来事だ。日曜日はそれでなくても少ないタクシーの台数が半分以下になる、とは聞いていたが、まさか駅前にタクシーがいないとは……。痛い足を引き付って帰ってきた。クマは出るわ、タクシーは走ってない。吉幾三の世界ではないか。私の住む広面地区は大学病院のある地域だ。どこよりもタクシー需要の多い場所で、ここのタクシープールの権利を一手に握っていたAタクシーが倒産してしまった。背後にはメインバンクとの確執、大学病院との不自然な関係など、いろんな舞台裏がささやかれている。そのAタクシーが元従業員たち有志によって再建される、というニュースが報じられていた。広面地区からも強い要望が出ていたのだそうだ。これで少しタクシー不足は解消されるかもしれない。 12月5日 「75歳」は後期高齢者だ。これは従来の老人保健制度に代わって作られた医療制度で決まった用語。08年に閣議決定されたもので、だから私の保険証は従来の保険証ではない。後期高齢者医療資格確認書というやつだ。これもマイナンバーに紐づけできるのかな。75歳まで生きられたのはラッキーとしか言いようがない。これは欧米の食生活が流れ込み、栄養価の高い健康的な暮らしを続けてこられたことが背景にある。日本古来の「粗食で長生き」というのは科学的、医学的にも、あり得ない。75歳まではうつ病になる人が認知症になる人より多いのだそうだ。認知症の一歩手前に「失見当識」」という。場所や時間が分からなくなる症状で、これはちょっと思い当たるかも。そして75歳を境に認知症の確率が高くなる。同年代の女性たちがやたら元気なのは、彼女たちの男性ホルモンが増えるからなのだそうだ。なるほど、これはすんなり納得できる。高齢者医療の本を書きまくっている和田秀樹によると、「75歳になったら薬も健康診断もやめなさい。一病息災、ガンは切らない。血圧も血糖値も高くてけっこう」ということになる。これもまあ極端で、眉に唾つけたくもなるが、納得できることも多い。日本の医療の「臓器別診療」に異議を唱え、医師は「総合診療医」になるトレーニングをするべきという主張は大賛成だ。「毎日ほどほどのアルコール」は、いかにも健康に良さそうだが、「毎日」はやはりアルコール依存症でありダメ。害が大きいのは「予期不安」で、まだ訪れていない未来を悲観的に考えてしまうこと。高齢者は「いやなことはやめ、好きなことだけやる」精神で生きるのが最高の老後だそうだ。まあ、言うだけなら簡単だ。後期高齢者の老後も、そう単純ではないよ和田さん。 (あ)
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