| Vol.1309 2026年1月31日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1301 |
| 人間ドックの結果は…… | |
1月24日 金子光晴『どくろ杯』(中公文庫)を独特の文体リズムに乗せられ最後まで読み通してしまった。昭和3年、夫人の森三千代と上海に渡り、窮乏の中をしぶとく生き延び、満州と支那大陸に戦火のはじまる昭和7年に帰国。壮絶な異境放浪記は金子が33歳の時からはじまるのだが、自伝3部作として旅紀行が書かれたの70歳になってから。「どくろ杯」はその最初の2年間の記録で、まるで下駄ばきで散歩に出るような気軽さで、異国での深刻な窮乏と臨場感ある地獄絵図を他人事のようにふりかえる。この時期、生活的にも窮乏のどん底で、妻との関係も深刻な危機、詩人としても行き詰っていた。窮余の一策として、死地に生を求めるような賭けが、この逃避行だった。出発の5年前に関東大震災があり、青春時代の自己形成期に大正時代という自由な思想を呼吸したことも、日本脱出の背景にはある。上海からマレー、マレーからヨーロッパへ旅立つところで「どくろ杯」は終わる。さあ、次は「ねむれ巴里」だ。
1月25日 この本は古典的な名作だけど、自分程度のリテラシーでは読みこなせない。これはある程度本を読んでいれば、すぐにわかる。そんな小難しい本は敬遠しエンタメ小説を楽しめばいいだけの話なのだが、それではいつまでたってもリテラシーは向上しない。後期高齢者になってから、そんなことを考えだし、あえて自分には「難しい」と思う本に挑戦することを心掛けてきた。『魔の山』はそうして読了できたし『白鯨』は残念ながら挫折。今読んでいるのはK・W・ジョンソン『大英自然史博物館珍鳥標本盗難事件』(DOJIN文庫)。犯罪ルポだが、苦手の理系の記述が多く、かつ専門用語に満ちたミステリー仕掛けの本のようだ。最初の十分の一ほどで頭がこんがらかってきた。でも、やめない。今が苦しさ(?)のピーク、ここを超えればきっとクライマーズ・ハイのような状態がかならずやってくる、と信じて、今夜も寝床で格闘するつもり。 1月26日 雪が降り続いている。事務所の屋根の雪は、ちょっと積もるとすぐにすべり落ちる。屋根に近い二階シャチョ―室が不夜城で、ストーブを1日中燃しているから屋根も温まっている。散歩は安全性を考えて、夜から昼にかえたが面白いことに気が付いた。バス停で待っている人が圧倒的に若者が多いのだ。一昔前のバス停は老人天国だったが、今は若者がひしめいている。車を持たない人たちが多いのだ。 1月27日 選挙と高校野球が始まると新聞の連載がいきなり不定期になる。書いた原稿が飛んでしまうことがしばしばあるのだ。選挙と高校野球の期間はユーウツで「イヤだなあ」という皮膚感覚がある。政治は大変な仕事だ。それを進んで自らの職業にする人たちは自分とは異次元の、高い志を持った人たちだ。自分のような私利私欲人間には務まらない職業だ。これまでの人生で、人のために役に立ちたい、という思いを抱いたことがこれっぽっちもない。 1月28日 近所に「アサイー専門店」ができていた。テイクアウトもやっている喫茶店で、若い女性が働いていた。はちみつ入りのアサイージュース700円を頼む。アサイーは無味無臭で、ブルーベリーをちょっと大きくしたような黒紫の果実。ポリフェノールをはじめ栄養価が高く、抗酸化力も強いので、健康食品として人気が高い。実はこのアサイー、作っているのはブラジル・アマゾンの日本人移民たちだ。これはあまり知られていない。アサイーは25mにもなるヤシの一種で、その葉っぱの部分に生る実だ。現地の人はこのままジュースにして、ドンブリに入れて食事時に「みそ汁」のように飲む。野菜を食べる習慣がないから、これが唯一の野菜なのだ。傷みの速い果実なので、現地で消費するしかない。それをアマゾンの日本人移民たちは、巨大なジュース加工工場を作ることで、とれたてを冷凍保存、海外に輸出することを可能にした。個人的には、40年以上取材を続けてきた地球の反対側の日本人移民たちの仕事が、日本の秋田の隅っこで味わうことができる、ことに感慨しきりである。 1月29日 関口尚『芭蕉は我慢できない』は面白い本だった。歴史小説というか、ほぼ俳句入門書だ。サブタイトルは「おくのほそ道随行記」で、俳諧の確立のために奥州の旅を望んだ芭蕉に同行した弟子・曾良の側から見た紀行文である。ハチャメチャなエンタメ小説かと思ったら、冷静で誠実な、芭蕉の性格や野望、矛盾と真摯に向き合った、まじめな珍道中(?)の本だ。なにより芭蕉の名句が誕生する瞬間に立ち会っている臨場感がありドキドキする。堅苦しい権威や歴史を感じさせない軽妙な文体で、軽やかな語り口のリズムが心地いい。芭蕉との関係性も、憧れ、反目、和解と刻々変化する。句の深さに焦点を当て、改作や読みが繰り返され、句が最高の形に定まるまで、芭蕉は言葉や趣向をかえ続ける。それが何年にも及ぶこともあるというのだから恐れ入る。芭蕉は永遠の未完、変化するたびに大輪の花を咲かせる、と敬意を表しながらも、そのわがままさに閉口し、曾良の旅は続く。意外だったのは「俳句」という言葉が一行も出てこないこと。俳句という言葉は明治になってから正岡子規が「俳諧の発句」から命名した言葉なのだそうだ。 1月30日 人間ドックの結果報告書が届いた。1年で一番いやな郵便だ。治療が必要な病気がある場合、医師への紹介状が別封筒に入っている。これが入っているとアウトだが、今回は封筒なしで一安心。でも総合判定欄を見るといつものように、デブだ、血圧高すぎ、心電図異常と、いろんな所見が書かれている。そして、全体の診察所見は「A=異常なし」。これをもってめでたし、と思いたいのだが、総合判定の注意書きを読むと、逆にほぼ重病人のように感じて落ち込んでしまう。所見Aを信じて気持ちおおらかにこの一年を過ごすのか、総合判定の「注意書き」におびえてビクビク年を重ねるのか、迷ってしまうのだ。一番怖い「今すぐ再受診検査」という結果でなかったことに、いまは感謝しておこう。毎年、人間ドックの結果はしんどくなる一方だ。これを年齢のせいにするのは簡単だが、メンタルのほうは年々弱くなっている。 (あ)
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